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2012.05.17 (Thu)

ロニー先生の命日

昨日は、大尊敬しております、ロニー・ジェイムズ・ディオ大先生の命日でした (1942年7月10日 - 2010年5月16日)。ロニー先生が亡くなってからのたった2年で、世界は、特に日本は大きく変わってしまいました。こんな今日になるとは2年前の今日は想像もしませんでした。ロニーさんは天国で何を思っているでしょう?




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2012.05.15 (Tue)

〈人生をシンプルにするための法則〉家電製品は一度に壊れる

デジカメが壊れかけになり、子持ち世帯はカメラが必需なので買い替えました。同時に電子レンジがときどきスイッチが入らなくなり、これも大人数家族には1日も無くてはならないものなので、新しいのを買いました。

(余談)
電子レンジ、オーブン、水蒸気を使った何か・・・とても理解しきれない高機能、多機能搭載で、Amazonで送料込みで2万6千円です。安い!
私の少年時代のラジカセと同じ値段です。これじゃ白物家電のメーカーは利益が出ないはずだなあ、とあらためて思いました。

さらに固定電話が今にも壊れる寸前です。これもすぐさま買い替えなきゃいけません。

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「家電は必ず同時に壊れる」法則。

確かにそれはあるなあ、と皆さん思われることでしょう。家中の電化製品が必ず同じ時期にまとめて壊れます。私のようなネクラな人間は、「悪いことは続けざまに起るものだ。人生とは暗く辛いものだ」なんてネガティブなことまで考えてしまいます。

家中の家電は必ず同時に壊れる。なぜなんでしょう?
理由は簡単。
耐久年数の「最小公倍数」です。買った時期からの耐久年数がたまたま重なった家電たちが、同時に壊れるのです。

家の中に電化製品は何個あるでしょうか? 電球や蛍光灯の数も含めます。その中の3つも同時に壊れれば、「どうして同時に壊れるのだ?何か意味があるのではないか?」なんて思ってしまいます。

何も意味などありません。

(以上)


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2012.05.14 (Mon)

人生をシンプルにするための法則

昨日の「母の日」に子どもらは何もプレゼントを用意しなかったので、今日、私が会社帰りに一日遅れでドーナツを買って帰った。もうカーネーションの花は売っていない。

さて、問題です。
あなたならどうしますか?

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会社帰りに利用する、とある駅の構内です。ほんの20メートルほど離れたところに2軒のドーナツ屋さんがあります。(ミスド等のフランチャイズではなくてちゃんとしたお店です)

A店のレジには、10数名が列をなしています。人気がある店なのでしょう。購入するまでに時間がかかりそうです。次の電車の発車時間まで4分しかありません。それを逃すと次は15分後です。郊外にある自宅にはなるだけ早く帰りたいところです。子ども達もじきに寝る時間になります。

B店には、2名のお客が並んでいるだけです。すぐに買えます。商品を見たところ、こちらもなかなか美味しそうです。

ちなみに値段を見てみますと、6個入りセットが、
・A店 1260円(税込み)
・B店 1050円(税込み)
と、A店の方が少々高めです。

さて、A店とB店、どちらを買って帰ったらいいのでしょう? 電車の発車時刻が近づいています。考えている時間はありません。

答えは、















(答え) どちらでもいい。

だって、「ドーナツ店が2軒あってどちらを買うか悩んだ」なんて事情は貴方の問題で、黙っていれば受け手(奥様やお子さんたち)にはわからない話じゃないですか。実際、もう一方の店のドーナツと食べて比べるわけにもいかないんだし。

それに・・・・、
受け手からすれば、「何も無い」というゼロの状態と「何かある」というプラスの状態の比較だけが、問題なのです。
何か買って帰った、お父さんのその行為が一番大事なのです。何を買って帰ったかなんて重要ではありません。



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2012.05.11 (Fri)

〈実録〉イングリッシュ・マフィンを買って来るということ

晩ご飯の材料を買おうとメモを持って出かけようとしたら、嫁から「イングリッシュ・マフィンも買って来て」と追加オーダーが出た。「朝に子どもらに食べさせるから」とのことらしい。

イングリッシュ・マフィン?
何だそれは? (読者の皆様、わかりますか?)

嫁に尋ねようかと思ったところで留まった。
こうやって私に特に説明も無く普通の様子で頼むということは、私も自宅の食卓で日常よく目にしているものなのだろう。それを「知らない」と言うのでは、日々家族の食事メニューに頭を痛め、苦労して作っている嫁は傷つく。長年の結婚生活の中で私はそのような小賢しい知恵、いや、思いやりの気持ちを身につけたのだ。長く苦しい、痛みを伴う結婚生活の過程で・・・。

一瞬のうちに私は頭を高速で回転させ、それが何なのかを尋ねることなく無事に買って来るためにはどうすればよいか?を考えた。
私の優秀な頭脳がコンマ数秒の速さで導き出した答えが、これだ。


「スーパーのどこに売ってるの?」


我ながら素晴らしい解決法だと思う。解決法、つまりソリューション(solution)だ。いちいち英語に直す必要は無いが、ちょっと自慢したい時に外国語にすると余計に賢そうに見えるから不思議だ。コンサルティングって感じぃ?(半音上げ)

ま、いいや。話を戻す。
嫁は何の疑いも無く、「ほら、パン売り場があるじゃない?あの右端よ」と答えた。「あー、わかった」と、わかるはずも無いのに返す私。長年連れ添った者達だけができる、熟練された大人の夫婦の会話だ。

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おそらく、私も何度も目にしているもののはずだから、パン売り場に行って見てみればわかるはずだ、と事態を軽く考えて家を出た。

徒歩でスーパーに向かう途中、様々な疑問が頭に浮かんで来た。
「イングリッシュ・マフィン」?
イングリッシュな、つまり英国風のマフィンだ。では、その「マフィン」とは何だ? 語感からはふんわりと柔らかそうなものを想像させる。パン売り場にあるのだから、きっとその印象は間違いだろう。

そして、「英国風の」マフィン、と断りを入れているということは、そのマフィンというものは元々は英国ではないところが本場あるいは発祥地なのかもしれない、ということが想像できた。

その、本来は別の国が本場だったり発祥地だったりする「マフィン」というものの、「英国バージョン」を買って来い、と嫁は言っているのだ。これはちょっと、思ったよりも手強そうだ。売り場には英国風以外にも、「フレンチ・マフィン」とか「ジャーマン・マフィン」「イタリアン・マフィン」「ロシアン・マフィン」といった様々なバージョンが並んでいるのかもしれない・・・書いているうちに、だんだん「マフィン」が「マフィア」に見えてきました。「イタリアン・マフィア」。頭の中にはゴッドファーザーのテーマ曲が鳴ってます。ニーノ・ロータ作曲。歌: 尾崎紀世彦。

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ここでまた、もうひとつ新しい疑問が浮かんだ。
「“イングリッシュ”・マフィン」と言っている。「イングリッシュ」だ。
ハード・ロックとかヘヴィ・メタルといった音楽を愛好する者なら、国を表す「ブリティッシュ」とか「ジャーマン」という形容詞は耳に馴染んでいる。ところがこの場合、英国風を表すのに「ブリティッシュ・マフィン」ではなく「イングリッシュ・マフィン」だ。両者で何かが違うのか?

私にはイギリスについて「ブリテン」と「イングランド」の違いに関しての知識は無い。スーパーに向かう商店街を歩く人々のおそらくは9割9分以上の人は私と同様だろう。いや、ここは湘南のハイソな高級住宅街、逗子だ。洋モノに対してのリテラシーは異常に高く、もしかしたら8割くらいの人はわかるのかもしれない。

不安になって、私は歩きながら胸のポケットに手をやり、得意のiPhoneを取り出してすぐに調べようと思ったが、実は正直なところiPhoneとかアンドロイドとかいったものは持っていない。立ち止まって旧式のケータイの表面を指で撫で、意味の無い見栄のポーズを取ってしまった。後ろから自転車にベルを鳴らされる。自転車は歩道を走るな!と心の中で小さくつぶやく。

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ここまでの疑問を整理する。
(1) 「イングリッシュ・マフィン」とは何か? (売り場はパンコーナーだとわかった)
(2) そもそも「マフィン」とは何か? (語感からは柔らかそうな食べ物が想像される)
(3) いろいろな国の「マフィン」があるのか?その中で英国風を選ぶのか?
(4) 「ブリティッシュ」ではなく「イングリッシュ」と言うからには、何か違うのか?

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解けない疑問、そして不安を抱えたまま、指示されたスーパーに入った。逗子市随一の“高級スーパー”OKストアだ。

嫁は確かに「パン売り場の右端」と言った。
パン売り場の中央に一番幅を取っている各社の食パンの右にはクリームパンやアンパン等の「菓子パン」が並び、一番右端にはドーナツ型のパンが並んでいた。
ドーナツではない。包装袋には「ベーグル」と書いてある。

「そうか、ベーグルのことか! 一見ドーナツと間違うところが紛わしくて、記憶があやふやになったのだ」と思い、安堵しながら一旦カゴに入れたが、すぐに棚に戻した。違う。ベーグルなら私も以前に買ったことがある。そして「ベーグル」と「マフィン」は聞き間違えようも無い程、音が違う。それに、ベーグルは固い。「マフィン」という言葉を耳にした時に想像する柔らかさとは異なる。

パン売り場の右端には、求める「イングリッシュ・マフィン」なるものは無い。

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嫁は右と左を間違えたのかもしれない。地図が読めない女だから。もちろん私は、話を聞かない男だ・・・しかし彼女が「パン売り場の右端だ」と言った時、私は頭の中にパンコーナーの映像を思い浮かべ、確かに映像の中のその右端をマーキングしたのだから、聞き間違いは無いはずだ。

念のために、パンが並ぶ棚の左端を探る。
あった。
想像していた通り、普通の食パンよりも少し柔らかそうなものがあった。
もちろん、柔らかさを確かめる為に指に力を入れてつかんだりはしない。売り物なのだから。

他の普通のパン、食パンの断面に見える生地よりも黄色い色をしていた。

よかった、見つかって。

●●●
買って帰ったのは・・・・蒸しパンだった。
お父さんはまた失点だ。

最後に油断して、イングリッシュとブリティッシュのことを忘れていたのが敗因だったと思う。蒸しパンはあまりにもジャパニーズだ。
次からは気をつけよう。何に気をつけるのかわからないが、とにかく気をつけようという意識だけは、ぜひ皆様に受け取っていただきたい・・・・と思うのである。ぜひ。


〈おまけ〉
今もなお、イングリッシュ・マフィンというものの正体はわかりません。



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2012.05.04 (Fri)

〈考察〉読書感想文はわからない

小学生の息子に塾から読書感想文の宿題が出ている。
嫁が「お父さん文章書くのが得意なんだから、見てあげてよね」と言い残し、娘と買い物に出かけた。
課題図書は『走れメロス』だ。

●●●
さて困った。
私は子どもの頃、この読書感想文というものが何を書くべきものなのかさっぱりわからず、大変苦労したのだ。ろくな点を取ったことが無い。
作品のストーリー、その中の登場人物の行動や心境についての感想を書くのか? それともその作品を書いている作者の心情や、その作品に込めた想いについて想像し、それについての感想を書くのか?
学校の先生から求められている「感想」というものの対象やレベルがよくわからないのだ。

さらにその感想文に、先生が点をつける。
人が何かに対して抱いた感想に対して、他人が点数をつけるのだ。これはいったいどういうことなのか? そんなことをしてもいいのか? そして個人が心の中に抱く「感想」に「正しい感想」とか「間違った感想」とか、あるのだろうか? その正誤は誰かが何かの基準で決められるものなのだろうか? 決めるとしたら、その「基準」とは一体何なのか?

それがわからないので、書きようが無いのだ。私が無理やり書いたものはすべて、先生が用意していると想像される「感想」の正誤の基準に合わないことばかりだったようだ。

その正誤の「基準」。それは言ってみれば「読書感想文」というゲームの“ルール”であり、この“ルール”を理解していないと点は取れないのだ・・・子どもの頃の様々な疑問が記憶の彼方から蘇り、洪水のように私を襲って息が苦しくなった。

●●●
当時、クラスの中で先生に褒められて代表して皆の前で読まされている子は大体いつも決まっていて(他の教科はあまり成績の良くない子が多かった)、その連中の作品を聞くと、いつも全身から力が抜けるような思いがしたものだ。

「そんなアホなことでいいのか?」

あまりに幼稚なのだ。明らかにわかりきった常識的な話の流れをいちいち「不思議に思った」とか「心を打たれた」と繰り返している。

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当時の私にもだんだんその正体がわかってきた。私が子どもの頃にたどり着いた結論を一言で表すと、「読書感想文」の“ルール”とはこういうことだ。

「学校の先生が期待する子どもらしい考えを“自分の本心に関係無く”演じて書く」
この一言に尽きる。

学校の先生というのは、とかく子どもにステレオタイプな有るべき理想像を抱くものだ。子どもとは元々純粋で無垢で穢れを知らず、好奇心旺盛で、未来に可能性を持っていて、だけど1人では無力で、だから教育の助けが必要で、その重要な社会的使命を学校教育の現場は背負っている、と。大学の初等教育科の授業あたりでよく出てきそうな話だ。

本を読んで読者は様々な感想を抱くはずだが、その中で学校の先生の思う「理想的な子ども像の理想的な感想」に適っているか否かが、採点の「基準」なのだ。それがこのゲームの“ルール”だ。私にはそう思われた。

だから、この読書感想文というゲームの参加者は、点数が欲しければ、純粋で無垢で無知で何事にも素直に感動し・・・という子どもを演じなければならない。バカげていると思っていても、そこは“ルール”なのだからぐっと我慢して。あるいは何も考えず、感情のスイッチをオフにして。(感情のスイッチをオフにして何が「感想文」かと思うが、問われているのはその子の「感想」ではないのだ・・・)

学校の先生たちのイヤラシいところは、この“ルール”を参加者達に明らかにせず、曖昧なままにしていることだ。当人の参加の意思を問うこともなく「授業」とか「宿題」という名で強制的にゲームに巻き込んでおいて、そして“ルール”を知らせない。なんと卑怯な。

これは“ルール”を敏感に感じ取って大人に都合のいい子ども像を演じられる子かどうか、それを選別するためのテストなのではないか? 私は子ども心に、そんなふうにも思った。

●●●
さて、この課題図書『走れメロス』だ。
短いが、一筋縄では行かない作品だ。長年、教育現場で教材として使われており、教育界での評価は固まっているであろう。学校の先生が求める「子どもらしい感想文」というのはすぐに想像がつく。やれ、「友情」だ、「信頼」だ・・・。

だけど、実際には子ども達はいろんなところに疑問を持ったり、意見を持ったりする。それこそが「感想」だ。

例えば、うちの子が言っていたことをいくつか列挙する。
(1) メロスは自分の勝手な都合で友達を巻き込んだ。とんでもない奴だ。(王様に憤り、勝手に城に入って行って威勢のいいことを言った挙げ句に妹の結婚式を思い出し、親友を身代わりにする・・・こんな自分勝手な奴がいるか?)
(2) 友だちはいい迷惑だ。可哀想でしょうがない。
(3) どうしてこの友だちはそんな理不尽なことにつき合うことにしたのか?メロスとの間に何があったのか?
(4) 王様はこんなことで改心するわけがない。都合が良すぎる。

等々、キリが無い・・・。
これらの次々と沸いてくる疑問にフタをして、先に進まなければならない。
この作品をすでに学校で習った中学生の姉は、こうした疑問が山ほど沸いてきたそうで、「何が書きたいのかまったくわからない話だ」と言う(これでは失格だ)。

ここで私などは「前半部分の人物描写と場面設定の記述が甘いのではないか?また話の終わりの部分ももう少し詳しく王様の心理描写が欲しい」という「感想」を抱く。子どもらにもそう説明した・・・しかしそれでは小学校の読書感想文としては失格だろう。

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今回の息子の宿題は学校からのものではなく、「塾」からのものだ。塾だから、学校の授業や将来の受験をうまくやって行くための様々なゲームの“ルール”を教えてくれるのだろう。

だから、あえて、息子の書いた感想文の中で「ここは小学生の書く読書感想文としては明らかに歓迎されるべきものではなく、必ず修正されるだろう」とすぐにわかる箇所も、そのままにしておいた。

どんな修正とコメントが帰って来るか楽しみだ。

(今はすっかり時代が変わっていて、まったく違った基準での採点になるのかもしれません・・・)



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