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2009.08.31 (Mon)

逗子の某コンビニ店で聞く、究極の“仕事慣れ言葉”  「せー」

どんな業界、業種の仕事にも、キャリアを積んでその業務に慣れた人だけが発することができる「言葉」がある。

いわゆる業界用語、というのではなく、普通の言葉なのだが日常生活ではほとんど口にすることがない。でもアルバイトであろうが就職であろうが、仕事につくと、お客様に対して毎日何度も口にしなければならない言い回し。

たとえば、電話を受けた際に頻繁に使う言葉。「少々お待ち下さい」。
誰しも、社会人になりたての頃は舌を噛みそうになって、ぎこちなく発音していた記憶があるだろう。

でも、しばらく仕事を続けていれば、そのような言葉もスムースに発することができるようになる。

そういう言葉を滑らかに話すことができる、というのは、お客様からすると「この人はこの仕事に慣れている = 安心して仕事を任せることができる」という、信頼感につながる。

そういう、発音に慣れが必要な仕事上の言い回しを、“仕事慣れ言葉”と呼ぶことにする。

どんな業種、業界においても、お客様を相手にする以上おそらく最も頻繁に耳にする“仕事慣れ言葉”は、



「いらっしゃいませ」



であろう。

「いらっしゃいませ」。あらためて文字に書いて読んでみると、結構発音しづらいことがわかる。
「いらっ」と「しゃいま」のつながりがどうにも難しい。

だから、毎日毎日何度もこの言葉を発し、慣れた人は、この「いらっ」と「しゃいま」のつながりづらさを、うまいことごまかす術(すべ)を仕事に費やす年月の中で身につけている。
仕事に慣れた人の「いらっしゃいませ」は、多くの場合、こうだ。

「い・・・せー」

この場合の「・・・」は、「ぐじゅぐじゅぐじゅ」という感じの、何か言っているのであろうと聞き手に感じさせる、感触だけをわずかに発音している。
以下、「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」と書くことにする。

聞き手は、当然「いらっしゃいませ」という言葉を知っているから、上記のような不明瞭な発音でも、意味をくみとることができる。また、「仕事上、毎日何度もこの言葉を発することを長いこと続けてきた人の独特の言い回し」という納得がある。

この、「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」(=いらっしゃいませ) を見事に発音できることが、その仕事に慣れていることの証となる。つまり、お客様に対して「自分を信頼していい」という無言の(正確には無言ではないが)メッセージとなる。

経験したことがある人にはすぐにおわかりいただけると思うが、「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」を発音するのは難しい。よどみなく発声できるには、結構な日数、年月がかかる。だからこそ、これができるできないが、仕事に慣れているか慣れていないかの試金石となるのだ。

普段日本語を話す日本人にとっても難しいのだから、外国人にとってはいっそう難しい。

中国の上海や北京にある、どんなに本格的な日本料理屋でも、店員さんの最初の「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」の一言が、その店の料理への期待度に大きく影響する。
店の入り口に20人くらいの現地店員さんがずらりと並んで、いっせいに不完全な「い・・・せー」をやられると、お店側は好意と熱意でやっているのだろうが、残念ながら逆に白々とした気持ちになる。

(余談だが、東京のある有名美容室は、スタイリストが何かしようとするたびに、たとえば「シャンプー、しゅるぶぷれー」のようにフランス語?を発するのだが、あの行為には何の意味があるのだろう? そこにどういう記号性を付加しようとしてるのだろう?まったく不明である。
・・・外国での日本語あいさつ、ということの逆のパターンを思い出した)

話を戻す。

仕事暦の浅い新人たちは、自分が仕事に慣れている人間だと見せるために、多くの場合、「いらっしゃいませ」をきちんと発音するよりも、この「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」を真似しようとする。
でもなかなか難しい。
だから、背伸びして発音しようとしている新人の「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」はぎこちなく、逆にすぐに経験の浅い人間だとばれてしまう。
でも、それでいいのだ。毎日目標を持って続けていれば誰しも身につくのだから。仕事とはそういうものなのだから。



さて、長々と前フリを書いてきたが、いよいよ本題。

JR逗子駅から徒歩5分の、某コンビニ店。
ここの、ある男性店員はすごい。20代の学生アルバイトか、あるいはフリーター。

ここまで述べてきたように、日本中すべての職業人が、「いらっしゃいませ」の「いらっ」と「しゃいま」のつながりに苦労し、「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」を身につけようとしてきたのだが、そのようなアプローチをばっさりと切り捨てている。
彼のあいさつは、こうだ。客がレジにやって来ると、ひとこと、



「せー」



以上。
「せー」だけだ。何の躊躇も無く。

これまで日本中の先人たちが苦労して日々の仕事の経験の中で身につけようと努め、そして経験を積んだ者だけが克服できた、「いらっ」と「しゃいま」のつながり。そのアウフヘーベンとしての“仕事慣れ言葉”、「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」。
この事情をいっさい無視して、ただの「せー」。
最も工夫と熟練が求められる、肝心の「ぐじゅぐじゅ」に一切触れることなく。

初めて耳にした時、ものすごい衝撃を受けた。
彼は、何を思っていきなり「せー」なのか?

「いらっしゃいませ」を明瞭に発声しようとしたことはあるのか? そして“仕事慣れ言葉”の「い・・(ぐじゅぐじゅ)せー」を真似しようという意識はあったのか?
そういうプロセスを一切感じさせない、たった一言の、迷いの無い、、、

「せー」。

それは無いだろう? 先人達が苦労したところはカットで、いきなり結論か!?
それで、達成すべきことを達成したつもりなのか!?

何かが、、何か大切なものが、、伝承されずに途切れてしまっている。


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私はレジ前で彼の「せー」に接するたびに、広大な荒原にひとりぽつんと取り残されたような、手がかりの無い、孤独と寂寥と絶望感にまみれた、打ちひしがれたような気持ちになります。

何かが途切れてしまっている。
この興味深いJR逗子駅徒歩5分の某コンビニ店の店員については後日談あり。
気が向いたらまた書きます。

何かが、途切れています。



(注)
決して彼が悪いと言っているわけではありません。あくまでも彼は一生懸命です(たぶん)。世代の問題、あるいは時代の問題です。そのコンビニに対しての悪意があっての文章ではないことをご理解いただけるようお願いいたします。(笑)

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テーマ : 日々の暮らし ジャンル : ライフ

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