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2009.10.31 (Sat)

【考察】 現実だったのか? その1 <七色のトカゲ>

「知覚」とは脳のある領域に微弱の体内電流が流れることで形成されるというが、では「記憶」とはどのようにして定着するのだろうか? その記憶は一度形成されるとずっと変わらず脳の一箇所に固定されるものなのだろうか? そんなことはない。時間が経つにつれ、多くの記憶は忘れられてゆくし、また怪しくなる。確かだと思っている記憶も案外とあやふやだったということを私たちは日常しばしば経験する。


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私が幼稚園に通う前。今より四十年以上も前のことになるが、強烈に覚えている不思議な光景がある。
私の家は田舎の兼業農家であったが、春の田植え、そして秋の稲刈りには一家で田んぼに出て行った。

ある年の稲刈りの日だった。太陽のまぶしい秋晴れ。空気は乾燥していたが、じっとしていても汗ばむような陽気の日だった。田んぼには、父母、そして祖父祖母に加え、何人かの親戚も手伝いに来ていた。まだおそらく三、四歳くらいだったろう私は何も手伝えることが無く、邪魔にならないよう一人で畦(あぜ)で草をひいたりバッタをつかまえたりして遊んでいた。

バッタを追って草の生えた畦道を歩いているうち、足元の少し先に、草の間に秋の太陽を反射してきらりと光るものが目に入った。

それは一匹の、真っ青な色をしたトカゲだった。きらきらと秋の日差しを反射して光っていた。私は面白いものを見つけたと単純に面白がり、そのトカゲに一歩近づいた。トカゲは気配を察し、するすると逃げていった。私は追いかけた。見失わないよう、目を凝らして。三メートルほど追いかけたところで、いや実際には子供の足とトカゲの歩みだから一メートルそこそこだったのかもしれないが、トカゲは進むのを止めて、ある「集まり」の中に入った。

ある「集まり」。

畦道の一帯に二十センチほどの高さで生えていた草。それが、その一角だけ直径三十センチほどの広さで外向きに倒れており、ちょっとした広場になっていた。その円形の広場に、黒、赤、橙、黄、緑、紫・・・それぞれの色の十匹弱のトカゲが頭を中央にして放射状に終結していた。私が追っていた「青」は何事も無かったかのように、その一部に加わった。不思議なことに、その「青」が戻ってくるであろうそのスペースを、他のトカゲたちはあらかじめわかっていたかのように空けていた。

「七色のトカゲ」と呼んでいいのか。あるいは十色くらいあったのだろうか。爬虫類特有の表面のぬめりが、秋の太陽光線をそれぞれの色でてらてらと反射して光っていた。彼らはじっと息をひそめて中央に頭を集め、その場にとどまっていた。まるで言葉以外の何か気配のようなもので会話を交わしているかのように。

私はあまりの驚きに腰を抜かしそうになった。その光景を不思議だと思う前に、見てはいけないものを見てしまったという、恐怖にも似た感覚に襲われた。小さく「ぎゃっ」と声を上げたのではないかと思う。稲刈りの作業中は大人たちはとにかく忙しい。日が沈む前にすべての作業を終えなければならない。子どもがいいかげんなことでぐずり、誰かがその相手をするために作業を中断するような余裕は無い。私はいつも大人たちの邪魔をしないように、我慢するものは我慢する、のみ込むものはのみ込む、という術が身についていた。習い性のように。

私は誰にも声をかけることもなく、黙ってその場をすばやく離れた。とにかくその場から距離をおきたかった。汚らわしさにも似た感覚を持った。

誰に話しても信じてもらえるような話ではないことは子供心にもわかっていたので、誰にも話すことはしなかった。どきどきした心臓をときどきさわりながら、その日いち日を過ごした。はやく作業が終わり、家に帰りたいなと思いながら。

その後季節が変わってすっかり草が生え変わっても、それから数年間はその場を歩くのは避けていた。結局、この話は父母を含め大人の誰にもしたことがない。

今になって、ときどき思う。あれは本当に起こったことなのだろうか? 七色のトカゲが一同に集結するなんてことは本当に起こりえることなのだろうか? 実際には、体の表面がキラキラと光る銀色のトカゲが七匹ほど集まっており、反射の角度のちがいでそれぞれが微妙に違った色に見えて、あたかも七色のトカゲが集結したかのように見えただけではなかったのか? いやそれにしても、トカゲが何匹も頭を中心にして放射状に集まるなんてことはあるのだろうか。

これはいったいどういうことだったのか、いまだ謎である。今となっては確かめようがない。もうひとつとまどうことは、この記憶が、子供の頃は視覚のイメージとそのときの鳥肌が立つ想いをともに鮮明に思い出すことができたのだが、今はこうして「言葉」で確認しながらしか思い出せない、ということだ。人に話す。文章に書く。こういう行為の中で、ビジュアルの記憶も、だんだんと自分が発した「言葉」からのイメージに変わってゆく。「七色のトカゲ」と言葉で書くから、そのビジュアルを頭に浮かべる。それは当時私が見て、その後何年も脳裏から離れなかったあのショッキングな光景と同じものなのかどうか、もうわからない。同じものと言い切る自信が無い。

あの秋の日の七色のトカゲたちの集結。あれは実際にあったことだったのだろうか?


●●
これから書き留めることも、今あらためて思い出そうとすると、はたして本当にあったことなのかどうか怪しくなる。いや、まちがいなく、実際にあったことなのだ。ディテールの記憶は怪しくなっているとは思う。しかし「実際にあった」。それは事実だ。いや、もしかしたらそれ自体も今後だんだんと怪しくなってしまうのだろうか? ともかく、文章に起こしておくことにする。

ある日の午後、JR横須賀線の座席に、見事な「うんこ」が盛られていたのだ。
(その詳細はまたいつか気が向いたときに・・・)


写真はイメージです。(Getty Imagesより)
トカゲと子供


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(追記 2009年11月4日)
JR横須賀線の車輌に盛られた「うんこ」の話、詳細を書きました。ご興味ある方、ご覧下さい。

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